人間芝居とキャラクター芝居

 昨日『まっすぐな男』を見てたら役所広司が出てるダイワハウスのCMの新しいバージョンが放送されてて面白かった。
 
http://www.daiwahouse.co.jp/ad/cm/herosono4.html


 たしかCM監督にダイワマンエックスというダイワハウスをイメージしたスーパーヒーローのスーツを着て演技しろって言われた役所広司が嫌で、その役は唐沢寿明が適任なんじゃないでしょうか? って苦し紛れに言うと唐沢寿明が本当に登場して、ダイワマンエックスを意気揚々と演じて役所広司を唖然とさせるんだけど、このCMを見てて、最近考えてた役者の芝居の質の違いについてやっと考えがまとまった。

 それは一言で言うと、人間芝居とキャラクター芝居の違いで、このCMで言うと、役所広司は人間芝居の人で、唐沢寿明がキャラクター芝居の人なんだと思う。

 個人的にゼロ年代邦画でベスト1(と同時にワースト1)だと思ってる作品にキリキリの『キャシャーン』っていう問題作があるんだけど(笑)、この映画の中でイキイキした芝居をしてる人が二人いて、それが及川光博唐沢寿明だったんですよ。
 この映画には他にも麻生久美子とか伊勢谷友介も出てたし、結構演技ができる人も出てたんだけど、こういう虚構性の高い作品になると、彼、彼女らの上手さってのは沈んでしまって、どっちかというとケレン味のある人の方が生きるんだなぁっえ思ったのが、そこら辺のことを考えたきっかけなんだけど、それは今考えると、伊勢谷友介は主人公のキャシャーンを人間として演じてて、唐沢寿明はブライキングというキャラクターを演じたんだと思う。

 他にも役者で言うと松田龍平は人間芝居の人で、松田翔太はキャラクター芝居の人。『龍馬伝』で言うと福山雅治はキャラクター芝居で、香川照之大森南朋は人間芝居の人って分類をしてる。
 いわゆる芝居が上手いって言う時にみんなが漠然と当てはめてるのは人間芝居の方で、キャラクター芝居はどうも低くみられてる気がするんだけど、実は今需要があるのは圧倒的にキャラクター芝居なんですよね。


 実はここらへん、『音楽誌が書かないJポップ批評』でも嵐の二宮和也櫻井翔の演技の質の違いとして、書いたんだけど、最後まで人間芝居とキャラクター芝居って言葉が出てこなくて、虚構性が高い芝居と情緒に訴える芝居みたいな、ちょっと回りくどい言い方になってしまったのがもったいなかったかなぁ。

 ちなみにそこで書いたことは、更に時代状況にも展開していて、ドラマで言うとクドカンドラマと倉本ドラマの違いとして、書いたんだけど、ゼロ年代ドラマで何故、クドカンが頭一歩出たかというと、若い子のコミュニケーションが基本的にキャラクター芝居を志向するようになっていったからで、まるでアニメのキャラクターみたいに振舞う記号性の高いリアクションの応酬として、ネットやケータイのコミュニケーションが広がっていったのかなぁって思ってる。

(もっとも当のクドカン自体は、その人間芝居とキャラクター芝居の横断による、新しい展開を模索してるというか、キャラクター化していっても、最後に残る人間芝居を引き出すために、キャラクター化を徹底した面もあるんだけど、その意味で若手で、人間芝居においてはオンリーワンとも言える二宮和也が『流星の絆』に出たってのは、その象徴ではないかって感じのことを書いたので、暇な方は読んでね)

 これは演出で言うと堤幸彦とかのやたらとカット数の多いチカチカした画面構成にもいえて、ああいう演出って、基本的に非映画的というかPVとかCMから来てるものなんだけど、もう一つ言えるのは人間を人間として撮らない芝居なんですよね。

 ゼロ年代冒頭って、青山真治とか黒沢清が絶賛されてて、当時も今も堤幸彦的演出は鬼っ子として映画界では嫌われてるけど(まぁ、別の問題もある気がするけど、それは今回保留)、根本の所で、映画ファンがいいと思ってる旧来の意味での人間芝居の空間を、あの演出はぶち壊してしまうってのが、最大の理由なのかなぁと思う。

 それで、90年代後半から今に至るメディア環境の変化による、若者コミュニケーションの変化ってのは、基本的に人間芝居からキャラクター芝居への変化で言えるんじゃないかなぁって個人的には思ってる。
 ただ、この二つが対立項になるかというと、今の時点では違うってのが自分の結論で、最終的に向うのは、人間芝居そのものがキャラクター芝居という記号の一バリエーションとして定着していくのかなぁと思う。
 キャラクター芝居ってのは、基本的に自身をシンプルな記号として扱うことで、周囲にわかり安く自分をセルフプロデュースする手法なんだけど、みんながキャラクター化すると、キャラクター性そのものが埋没して目立たなくなるから、そこで埋没しないために、むしろ古臭い、使い古されたようなベタベタな人情芝居みたいなものが意味を持ってくるというか。
 その意味で、古いとか新しいっていう発送自体が今には無くて、キャラクターとして、新旧の個性がデータベースとして登録されていくんだろうなぁと思う。

 そこらへん踏まえると『まっすぐな男』の佐藤隆太深田恭子
 芝居の有り方ってのは面白いと思う。
 貫地谷しほりが「あんな人がいた方が面白いじゃないですか」って言うんだけど、そういう形で、ああいうベタさがレアアイテムとして生き残ってくんだろうなぁと思う。
 そういう意味で面白いドラマだなぁって思った。